昨晩も道の駅猪苗代を泊地とした。連泊である。自分なりの評価をするとA~DランクのA相当。
またこの地を訪れた時は是非お世話になりたい道の駅だ。
さて、福島の旅。残り2日間は天気が期待出来なかったのが織り込み済みなので初めから観光の予定。ただ、具体的な内容は考えていなかった。とりあえず会津若松の鶴ヶ城に行って見るか、程度の頭で車を走らせる。
鶴ヶ城は今までにも何度か訪れているが、これまでゆっくりと見ることは出来なかった。大概団体旅行とかそれに類似したものでスケジュールが決まっているので慌ただしく見学というのが今までのスタイルだった。
だが今回は時間無制限。お陰で城内の展示をつぶさに見て2時間半も費やしてのんびりと見学することが出来た。
一つ新たな知識を得ることが出来た。下の写真の天守閣がある建物の事を一般的に我々は『城』と呼んでいたと思うのだが、解説板曰く。これは『天守閣』であり、『城』とは天守閣を含むその他諸々の構築物や土地を城郭で囲われた部分のことを言う。なるほどそう言われれば腑に落ちないでもないが、習慣的にどうしても天守閣のある建物を城と呼んでしまうものだ。
ちなみに天守閣は建造当時は権力のシンボルとして、また戦の時には遠くまで見渡せる偵察所としての役割が色濃く、住むには不便で、殿様が最上階で寝泊まりしていたなんてことは無いそうだ。あまつさえ下部は食料や武器の保管庫としての機能程度しかなかったらしい。
明治時代に撮影された、崩落寸前のまるでお化け屋敷のような鶴ヶ城の写真があった。
一般論として、各地の天守閣はその時々の領主によってはコスパが悪いので修繕に金を掛けなかったという説もあるという。まぁ当たり前といえば当たり前の話で、戦乱が収束した江戸時代以降は天守閣を整備なぞしていたら幕府のお咎めの対象になる可能性もあるし、よほど財力のある藩でなければ手が出せないだろう。むしろ幕府が指示したのは城郭の整備であり、こちらは街のインフラ整備といった目的に叶う部分となる。諸藩の財力はこちらに向けられていたのだろう。
南側 栃木は三倉山の向こう これらの山もいずれ登らずばなるまい
鶴ヶ城の近くにある喜鈴という喜多方ラーメンのお店で昼食を食べることにした。迷ったが、黒醤油味玉中華そばを注文した。
喜多方ラーメンの亜種のようなタイプだが、喜多方ラーメンや佐野ラーメンのようなあっさり系があまり好みでない自分にも納得の一杯であった。醤油にこだわった3種類のタイプから選べるのが良い。また、とろとろの脂身ではなく赤身の締まったチャーシューもまた美味。自分の好みに合致した美味しいラーメンを頂くことができた。
ラーメン屋でスマホを出して、さぁ次は何処に行こうか。
まぁベタな所で飯森山かな(笑)
標高差30m位なんだけどね 右側の動く歩道「スロープコンベア」が途中までで250円也
スロープコンベヤの宣伝テープが言う。「登ったら”本当に”大変なんです」と熱く語りかける。
まぁ、歩くのがやっとなお年寄りならそうかもしれないが、ここはやはり歩かなくちゃね。
・・・と気負い過ぎてノンストップの一段飛ばしで一番上まで行ってみたら、流石に息切れしちゃったが、誰も見てなかったら良しとしよう(爆)
白虎隊が自決した場所(だという) 少年がお城の方角を眺めている
帰りは別なコースで降りていくと途中にさざえ堂という奇妙な建物があった。
らせん状の階段を登り、交差することなく降りてくるという仕掛けが珍しいという。
ちょっと考えれば解る仕組みだが、何のためにこんなものを作ったのかという事のほうに興味が湧く。
「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」の句碑あり。
さざえ堂も幾らか傾斜して造られているので表面的なこの句の意味が解らないでもないが、本当のところ何を詠った句なのかが浅学の自分にはピンとこないのだ。”あはれ”を感じないのだ。
毎週プレバトを見て夏井先生の講釈を聞いているのだが、俳句って解説を聞けば、あぁなるほどとなるが、なかなか自分の頭で読み解くことが出来るような代物じゃないなぁといつも痛感するのである。
どうしてもこの句の意味(味)が判らない むしろ右手の明確な獣道のようなものが気になってしまうのだが(笑)
31kmの用水堰をくぐりながら逃げて来たって凄い(解説は次の写真)
背あぶり山の山頂は車を置いたところから20分で登れるらしいが、どうもこの付近で最近熊の人身被害があったらしく、これが原因で、東山温泉から車道を串刺しにしている登山道は閉鎖されていた。普段着に着替えてしまった軽装で入山するのもためらわれたので、背あぶり山は諦めて里に下りることにした。
後で調べたら被害があったのは既に四年程前であり、その間手付かずの登山道はもはや自然に還りつつあるという批判もあった。行政側からすればそんな危なくて厄介な所は金輪際ノーメンテで無くなっちゃえば良いといったところか。