伊豆半島の旅 三日目

 中伊豆地方の予報は曇り。午後は雨マークが出ている。午前中に車を離れて歩けるところは歩いてしまおうと思い早めに出発をした。


道の駅の朝 トイレのすぐそばに陣取ることが出来た

 「道の駅 天城越え」より昨日来た道を一旦戻り湯ヶ島へ行く。何のアテも無かったが「天城会館」という観光施設に車を停めて周囲を散策することにした。

 何故湯ヶ島という変哲も無い中伊豆の地を散策に選んだかというと、小学校6年生の時に読んだ井上 靖の少年時代の自叙伝、小説「しろばんば」の舞台が湯ヶ島だったからである。
 「しろばんば」についてはWikiが詳しいのでそちらを参照して頂きたいが、多感な少年時代を様々な経験を経て悩みそして成長していく姿を子供だった自分も投影し共感できることが多く、関連作の「あすなろ物語」や「夏草冬濤」を読み耽った懐かしい思い出がある。 「しろばんば」の中にちりばめられた情景、その舞台である集落の雰囲気だけでも楽しめればと思い、かねてより訪れようと決めていたのだ。

 ところが駐車場で改めて調べてみると、GoogleMapに「上の家」という名前がポイントとして登録されているではないか。「上の家」というのは話の中に出てくる井上家本家のことであり、その建物が今も現存していたのだ。

 思わぬ収穫とばかり写真を撮っていると訝し気に男性が近づいてきた(下写真右端)。
 挨拶をすると、どうやら「上の家」の関係者のようで、更に話を続けると本家五代目の井上時雄さんであるということが判った。
 観光行政で『しろばんばの里』と銘打つだけに見学者がいるらしいが、特に有料とかではなく篤志としての公開を続けているらしい。また、一時期「あすなろ会」という地元女性達の集まりが不定期でカフェを開いていたということはネットで後日知った。現在はの動向は不明だ。

 古い建物には時雄さんのお母様が以前は一人で住んでいたらしいが、今は空き家となり痛みも激しいという。最近クラウドファンディングで資金の目途がついたらしく、来年夏までには修復を行うそうである。


しろばんばの里 湯ヶ島に来た 右端に写っているのが「上の家」五代目の井上時雄さん


これが「上の家」 大夫痛んでいるがCFを受けて修復予定 右隣が時雄さん宅


ご厚意を頂き建物の中も入らせていただいた


物語の人物相関図が掲載されていた


洪作少年が「上の家」から富士山を見た窓

 叔母のさき子が結核で臥せっていた二階の部屋に案内された。曽祖父の妻、しなが沼津藩の家老の娘として嫁入りの時に持ってきた薙刀(刃先は戦中に徴用されたらしい)が鴨居に無造作に置かれていて、それを手に取らせて貰った。細柄でいかにも女性が扱いそうなその薙刀の装飾も当時はきっと美しかったのだろう。

 実際に洪作(井上 靖)が住んでいたのは「上の家」より40m程離れた所で、現在は公園になっていて記念碑が建っており、小説「あすなろ物語」に登場するあすなろの木が残っている。なお、本家の母屋は「道の駅 天城越え」に併設されている昭和の森会館に移築されている。

 ここには井上本家があったが、母屋は貸家として人に貸し、同じ敷地にある土蔵に洪作とおぬいばあさんは住んでいたのである。本来ここに住むはずの井上本家は先ほどの「上の家」で生活をしていたのだ。


井上家の母屋があった場所 奥にしろばんばの記念碑 手前の木はあすなろの古木

 五代目の時雄さんに挨拶をして別れたあと、なおも湯ヶ島の散策は続く。湯道というのがあり、往時、渓谷(狩野川)沿いにあったであろう共同浴場へと続く道を進んでいく。周囲の風景をゆっくり眺めながら歩くと物語の中の子供達が駆け回っている姿が蘇ってくるような思いに包まれた。少なくとも、見上げることの出来る近くの山の稜線などは今も昔もそうは変わらないだろうと思うと、また感慨もひとしおだ。


話中で出てくる湯道を歩いてみた


手書きの案内板があった


当時は手すりは無かっただろ だが、自然の石を配した石畳に情緒あり


朽ちていく廃浴場 こんな共同浴場を使っていたのだろうか


話中の少年たちの駆け回る姿が目に浮かぶ風景

 湯ヶ島を後にすると、次は洪作達が叔母のさき子の死を悼んで超えようとした天城峠方面へと進み、天城峠の直下にある旧天城トンネルを見に行くことにした。

 旧天城トンネルに続く旧国道414号は一部未舗装区間があるも現在でも車の通行が可能である。すれ違いが出来ない、駐車地がない、悪路であるということで、旅行ガイド本などでは水生地下駐車場に車を置いて歩いていくことを推奨している。これに倣い自分も徒歩で車道を進んだ。
 結果的には車両の往来も殆ど無く、道もさほど悪く無いし路側に駐車できる箇所が潤沢なので車で行かなかったのが若干残念だったが、片道約2Kmを歩いてようやく到達する隧道の入り口までの道中は、やはり小説とオーバーラップして感傷的な歩きを楽しむことが出来た。


旧天城トンネルへ向かう 国道414号旧道である


途中に川端康成の「伊豆の踊子」碑があった


こちらが旧天城トンネル 現在も車で通過は可能だが、狭いトンネル内でのすれ違いは不可能


隧道という呼び名が相応しい


隧道の脇を登れば天城峠 いわゆる「天城越え」


トンネルの内部へ少し入ってみた


平日なので車の往来も殆ど無かった

 南へ南へと車を走らせる。ぽつぽつと降っていた雨はやがて本降りとなりワイパーがせわしなく窓を行き来する。今日のこの後の予定は岬巡り。南伊豆の予報は午後に段々天気が回復してくるということであった。
 伊豆半島の背骨でもある中心山間部を貫く国道414号を走り抜け、再び海原にまみえると雨も上がり徐々に天気回復の兆しが見えてきた。


伊豆半島を北から南へ一気に駆け下り再び海を見る


左から 利島、鵜渡根島、新島



下田バーガー どう食べるやら 結局無理やり挟んでガブリ

 青空が拡がり始めるとやはり心が躍る。予定していた爪木崎の駐車場から降りると幾分強い風が吹いていたが気分は爽快。


爪木崎の無料駐車場から


灯台へ向かう


12月に入ると自生スイセンが咲き誇るという


灯台はすぐそこだ


年季が入って味わいのある銘板だな


伊豆半島の屋台骨 天城山脈は雲の中


田浦島の手前を横切る船一隻


田浦島方面 引きでもう一枚


灯台と利島

 爪木崎の西側海岸には「俵磯」と呼ばれる柱状節理が多数見られる。伊豆と本州の衝突にともなう隆起と浸食で地表に姿を現したというのだから壮大。日本全国で柱状節理を見ることが出来るが、自分が見た中ではいままで一番立派で規模が大きいと感じた。


柱状節理の海岸 実に見事だ


ここまで見事なのはなかなかお目にかかれない


椿咲く小径を辿り戻る

 流石に平日の爪木崎は静かそのもの。出会った人は一組の男女のみであった。
 そんな岬を後にして本日の宿泊地である「道の駅 下賀茂温泉 湯の花」へと向かった。


さぁ!今日も泊地へ向かおう

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