家内と鎌倉へ散策。
湘南新宿ラインのグリーン車に乗り込み、ちょっと時間はかかるけど乗り換えなしの直通列車の旅。
グリーン料金も780円と安く、リクライニング出来るシートを占有出来るのはお得。
(乗車券と込みで片道3,800円)
てなわけで、ノープランのまま鎌倉駅より歩き出すと物凄い人の量だ。
GWということも手伝い、都会の人たちの手軽なレジャー地となっている模様。
人込みでごった返す鶴岡八幡宮の参拝を終え、境内を散歩しているとリス発見。
どうやら観光客が与えるエサに味をしめて人を恐れないようだ。
見ると、台湾リスのようである。
此処では観光客のアイドルだが、伊豆大島(自分の今は無き父親の実家があった)などでは、
普通に家の庭先を往来し、特産の椿を食い荒らす獣害とされていた。捕獲して役所に持っていくと
お金が貰えるという気の毒な存在。
鎌倉ではどうなんだろうね>リス君
お次は、少し歩いて建長寺へ。
牡丹が見事な寺領内は壮大で見るべき場所も多い。
お寺とお稲荷さんの関係って何なんだろう・・・
それって、神仏習合?
禅宗で硬派の鎌倉仏教にしてはおや?と思ったりするが、歴史は思ったより深いという事かな。
昼食は・・・移動の途中の蕎麦屋さんの暖簾をくぐったが、
日頃栃木の美味い蕎麦を当たり前のように食べているので、あまりにもがっかりな味。
まぁ、他のお店も観光地価格で強気の単価設定なるも味は未知数。
お寺の敷地の中のベンチなどでお弁当やコンビニご飯を拡げている人もたくさん居たので、
そのほうが絶対良いなぁと思ったが、我々は鎌倉ビギナー故に情報不足であった。
自分など、小学校の遠足で来て以来だから、いやはや半世紀ぶりか(;´∀`)
食後は東慶寺へ。
この寺は、駆け込み寺(縁切り寺)として有名だが、また著名人の墓も多数あるという。
本堂は小さくコンパクトで他に見る物も多くないが、山の地形をそのまま利用した墓地は奥に高く登っていく。
鬱蒼とした感じというより荘厳と言ったほうが相応しい静粛な墓所であった。
もみじの青葉が目にまぶしく、秋にも是非訪れてみたいものだ。
最後に円覚寺を見るが、あまり印象に残るものなし。
これは単に自分達の見る目が無い故か。
鎌倉は事前の知識とかあったほうがより楽しめると思うが、まぁ今回のようなぶらり旅もまた良いのかな。
下手なバイアスが掛かった眼鏡で見るより直感的に楽しめるといのもあるよね。
ただ、如何せん人が多くて、日頃からFKDなどで鍛えている家内でさえも「人酔い」してきたというありさま。
自分も正直言ってちょっと辛かったが、改めて振り返ると鎌倉自体は良い所であるのは異論無しである。
人が少ない時期(出来れば平日なんだけどね)にまた訪れたい(今度はちゃんと計画して)と思った。
都会に住んでいる時は何とも思わなかったのですが、田舎から都会に出ると本当に人酔いしますよね。
鎌倉のお寺でもボタンやツツジが見頃。そして清々しい新緑と。
こんなぶらり旅もたまには良いな~と思いました。
そういえば、鎌倉アルプスというのもありますね。
栃木の里山を徘徊している自分などは、着ていく服装に大いに心配が
ありますが、そのうち機会があったら訪れたいもの。
次回鎌倉訪問時は、部分的に別行動で家内はショッピング、
自分は鎌倉アルプス・・・
なんて話してます。
こんばんは
おぉ 奥様と鎌倉へのぶらり旅でしたか~
ちょっぴり羨ましい!
それにしても写真が綺麗に撮れてますね~
お寺も花も空もそして景色も...
とにかく人が多くて疲れました。
当然予想はしていたのですが、やはり日頃からああいう場所に
慣れていないとキツイものがあります。
でも、空いている時に行ければ鎌倉って結構良い所だなぁと実感。
今回は青空が味方してくれて写真の画質が少し良かったような
気がします。
山に行くときは今使っているミラーレス一眼が良いですが、
こんな散歩の時は、エントリーモデルで良いので普通のデジタル一眼が
欲しいなと思いました。
鎌倉。よいですよね~♪
古都巡りなら、京都より鎌倉派な私です。(^^)
海なし県だからでしょうかね~。
海を見下ろしながら歩ける鎌倉アルプスは、猛烈にあこがれています。
で!!!!
そりゃぁ、海の近くへ行ったら、湘南のシラス丼でしょぉ。(笑)
まめやの試食で小腹を満たし、江ノ島へ行って海のもの。
…なんて、おしゃれな街に行ってそんなことしてたら、ダメですね。(^^;
シラス丼・・・でしたね。
蕎麦屋を強く後悔しております(´・ω・`)
丁度今はシーズンで生シラスが出てました。
>海を見下ろしながら歩ける鎌倉アルプス
え、そうなんですか。
実は海を見ながらの山歩きに憧れていたのです。
これは今年の冬が楽しみだなぁ。
kamakura散策とは・・・お洒落です。
写真の発色がきれいですね~!
いなかもんゆえ、電車の乗り方がよくわからない。。。
こういうお洒落な企画は、我が家の場合家内主導です。
自分はツアー登山で行先もわからずついていく参加者とほぼ同じレベルかも。
電車も乗り慣れた家内の提案によるものですが、
湘南新宿ラインって、宇都宮から乗り換えなしで鎌倉まで行けるので便利です。
宇都宮から熱海まで直通で行く電車もあるそうで、早く行ける新幹線乗り継ぎも
良いですが、コスパを考えるとグリーン車でゆったりゆっくり揺られて行くのも案外
良いものですよ。
グリーン車! 乗ってみたい~~~~
時々 乗ろうか?って お尋ねするのですが
「もったいない」のひとことで
却下!!
でも
リクライニングもあって
楽なんでしょう
いいなぁ、、、、
うちも
そのまま真似して 鎌倉に旅したいなぁ、、、、
前に
江ノ電で
いったことがあるんですが
江ノ電の駅員さま、、、、けっこう 無愛想で
その記憶が 強く残ってて、、、笑
短距離だとちょっと贅沢になっちゃいますが、この位の距離になるとむしろ780円は
安いと感じます。
通勤電車みたいな車両で長時間はやはりつらいですものね。
休日は料金が幾らか安いのでグリーン車は凄い人気です。
途中の駅で乗ると、グリーン券買っていても座れないという事になりえるので、
乗車する場合は始発から乗って席を確保されると良いと思います。
今回も帰りは逗子まで一駅行って、そこから宇都宮行のグリーン車に乗りました。
江ノ電は、乗りたかったのですが、今回は時間切れ。
次回以降の楽しみとなりました。
あ
リス、、、
わたしも 千成ゴルフクラブで
見ましたよ!!
作り物ですが 笑
それはそれとして
ルーツが大島なんですね
まっちゃん
もう
行かれることもないのかもですが、、、、
NHKの
ファミリーヒストリーのファンなので
かなり
興味があるんです。(^_^;)
人に歴史あり 家族に愛あり 人生に、、、
自分は生まれと育ちは東京で、十八の春に宇都宮にやってきて、
それきり住み着いてしまいました。
今となっては人生のほとんどが宇都宮市民となりました。
昭和元年生まれの親父は、実は大きな石炭商の息子で、三歳くらいの頃の
写真が残っていて、当時の子供としてはかなりハイカラな吊の半ズボンにハイソックスで
三輪車に乗っているというバブリーな雰囲気がありました。
実際、祖父が経営していた石炭の物流拠点には国鉄の線路が引かれていたという
話(どこまでが本当か知る由もないですが)もあり、それなりの羽振りだったようです。
ところが、昭和の大恐慌でダメージを受け、
いわゆる夜逃げってやつですね。
それで伊豆大島に渡ったということです。
結局、親父の青春期は伊豆大島での貧しい生活とそして戦争。
島の測候所に勤めていた為、出征は免れたようですが、戦後、気象観測船に
乗り込み、外洋航海で半年以上も洋上で生活するという日々の末、縁あって
気象庁に職を得て東京に住むことになったということです。
一方母親は東京都下に住んでおり、激しい空襲に怯え、徹底的な食糧難に
苛まれた戦争体験者です。
迎撃で墜落した米軍の飛行機と兵士の死骸を見たという話なんかも随分聞か
されました。
あ、なんかどんどん我が家の黒歴史になっていっちゃましたね。
でも、戦争体験は語り継がれていかなければならないなと常々思います。
ゲームだけで戦いを知る若い人たちには特にと強く思ってます。
私の父は 昭和3年
山形の上山のお豆腐屋さん
かなり生活は苦しかったようです(^_^;)
そのため 尋常小学校を出てから国鉄に就職
そして
戦争の時は 志願して入隊*年少兵だったか??
(軍隊に行ったほうが のちのち就職に有利になるという理由からだそうです)
しかし 出征する前に終戦となり
戦争体験は 軍隊の訓練だけだったそうです。
終戦後は
某デパートに就職
そちらの千葉館山のお店で母と知り合い 結婚
そして
わたしが その館山で
長男として生まれてしまった、、、という流れです
その後
父の転勤で 群馬の桐生
それから
父が脱サラして 栃木へ!!
なので
わたしは
小学生から栃木なんですよ
まっちゃんより早い、、、、一応 そんてんでは 先輩か?
ただ
18歳で大学入学と同時に 東京暮らし
そのまま 就職して結婚して、、、
東京で10年暮らしました
そのあとは
栃木に戻り
新幹線通勤で10年ほど 東京に通い、、、、
途中 ソウル支店へ2年半ほど赴任
帰国して
しばらくしてから
強制脱サラで、、、しかたなく自営業に (^_^;)(^_^;)
あ
これ
リストラとも
世間では言うかもですね はい、、、
そして
いまに至る??、、、、です。。。。
再び亀レスで申し訳ありませんでした。
週末風邪で久々に熱を出して寝込んでしまって、ようやく人心地
ついてきたというありさまです。
亀三郎さんのヒストリーもいろいろあったのですねぇ。
しかし、お父様と同じ脱サラの道を歩まれるとは、やはり才能がおありだった
のだと思います。
海外駐在経験は憧れますが、自分の会社じゃあり得ないし、
そもそももう定年間近だし(笑)可能性はゼロですね。