房総の旅 五日目

 昨晩は台風並みの風雨が到来する予報だった。車中泊ビギナーにとっては少し条件が厳しいので、迷わずじゃらんで安い民宿を予約した。おかげで3日ぶりの入浴と晩酌が出来て大いにリフレッシュすることが出来たのだ。

 連日の登山で汗臭い体も、濡れタオルで拭ったり百均の制汗シートでやり過ごしていた。また、飲酒は万が一夜間に車を移動しなければならない事態が発生した場合に備えて控えていた。
 そんな事情故に広い風呂に浸かり、ついつい深酒をしながら布団の上で手足を伸ばして寝ることの有難さといったらひとしお。

 予報通り夜半強風と雨が吹きすさんでいたようだが、一晩明けると風は残っていたものの雨はすっかりやんで良い天気となった。まずは御宿海岸の散策より今日の一日を始める。

 『月の~沙漠に~』で有名なあの曲は、御宿の海岸がモデルとなったらしく、その名も『月の沙漠記念公園』には二頭のラクダに乗った王子と姫の銅像が設置されている。また、町内の有線放送で定時の時報代わりに『月の沙漠』が流されるのもなんとなく可笑しいが旅情を誘うのだ。


御宿海岸より房総半島南端を望む


『月の沙漠』は御宿の海岸がモデルとなったらしい
逆から撮ったほうが良かったかも(汗)


 こちらはラクダではなく愛犬がお供

 御宿を後にして、房総の旅で思い入れのある場所『鵜原』へやってきた。
 鵜原はまだ東京に住んでいた小学校4年か5年の時に臨海学校として訪れた地であった。
 親元を離れ、同学年の仲間と同じ部屋で枕を並べて非日常的な時間を過ごしたという事が50年も前の事なのに鮮烈な記憶として残っているのだ。

 住んでいた街から電車に乗り、中央線・総武線・外房線と乗り換えた。片田舎のぽつねんとした鵜原駅に降り立った一行は、いつもより少し神経質な教員達の引率で黙々と歩を進める。
 潮騒大きく磯の香りの広い一軒家(海の家として市が借りていたらしい)に重い荷物を降ろす。岩の合間を縫って少しばかり降りると岩礁があり、磯の小魚や生き物たちに目を輝かせる子供達。夜は大きな部屋に布団を敷き詰め隣の子と肩がふれあうようななか、まるで咆哮のような波の音を聞きながらいつまでも目だけが冴えわたっていた想い出。

 そんな少年時代の思い出の地、鵜原は大正時代に別荘地とする計画があって『鵜原理想郷』という命名を受けたが、現在でも別荘のような雰囲気の建物が数件残っており、荒々しいリアス式海岸を保存すべく管理された散策コースとなっている。


臨海学校の想い出 鵜原へやってきた


人を寄せ付けぬ荒々しい海岸


長い年月による風化


あんなところに泊まったような記憶が センチメンタルを禁じえない(・∀・)


季節 時間帯によっては 黄昏が実に似合うのかもしれない



遠く海原を前にして・・・ 後ろから撮影失礼!


波しぶきに洗われる鳥居


沖に向かう船一艘 海はデカイ

 勝浦では『勝浦タンタンメン』を食べるつもりでいた。有名な店を何件かピックアップしていたのだが、春分の日の休日とあり、コロナもなんのそのの賑わい。駐車場にありつくことも出来ずにうろうろする。諦めて向かった郊外の店も開店30分前にして既に長蛇の列をなしていた。丁度目の前を走っていた車が駐車場の最後のスペースを埋めたのでその時点で観光客と張り合うのは終了。
 結局『勝浦タンタンメン』の幟をあげている小さな店でようやくありつくことが出来た。味のほうは・・・
 一般的に胡麻味噌ベースのタンタンメンを想像するとなんとなく物足りない感はあるが、刻み玉ねぎがなんとも甘みを出していてこれはこれで美味かった。

 勝浦を後にすると、九十九里浜を辿りひたすら北上。
 九十九里浜は有料道路を通らないと眺望が殆ど無し。ケチケチ下道オンリーの旅はひたすら単調な道を進む。

 ようやく銚子の街に近づいた。『地球の丸く見える丘』に立ってみると、果たして・・・地球は丸く見えなかったが広大な風景が広がっていたのは確かだ。


地球が丸くは見えなかったが・・・白波が綺麗だった


うーん、ちょっとは丸いかな(笑)


畑と住宅地と海 生活感があってこれも良い雰囲気だ

 そして、今回の旅で海とのお別れ地点である犬吠埼。
 栃木県民が慣れ親しんでいる茨城の海、そんな太平洋の風景を見ながらこの一週間の思い出に浸った。

 さぁ、今日の宿泊地『道の駅 くりもと』へ向かおう。


青い空に突き上げる白亜の灯台はやはり画になる


すっかり慣れ親しんだ太平洋 さぁ、この旅の海とはお別れだ

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